久目と私
- #エッセイ
入澤潤 研究者久目に未来を想う
久目には、農の手伝いで訪れていますが、人のつながりと皆で何かしようという気持ちを感じます。何か新しいことへの挑戦もまあやってみられという寛容さもそこはかとなく感じます。街の中心部から離れてはいますが、街から向かうと川のゆるやかな流れに沿って穏やかな水田の風景の中に街道が走り、家々が続き、暫く走ったなあと思うころに到着します。
標高はさほど高くなるわけでも無く、やや狭くなった川幅に応じてきゅっと締まったような凝縮した家並みとなった場所、そこが自分の中の久目です。美しい家並みも、里の風景も長い歴史の中で人の暮らしの中で人の営みが創ってきたもの。夏は毎日、そこここで草刈りの音が響いています。
わたしは大都会と言われる横浜生まれ、横浜育ち。ですが、丘陵地である横浜の内陸の丘の上の方で育ちましたので半世紀前は、坂道の道路はじゃり道。わだちに出来たくぼみにたまった雨のプールにトンボが産卵し、ガガンボが泳ぎ、死んだモグラをシデムシが食べるそんな通学路でした。
東京ドーム何個分でしょうか?雑木林があり、沼、小川、谷戸、原っぱそこが自分の遊び場でした。
秋は空一杯の渡り鳥、購入したキャベツにも青虫がついていました。雑木林へは4月ごろから入り浸り、何百本もの木をチェックしてどこにカブト、クワガタが居るのか良く知っていました。木の模様や様子、曲がりや蹴るとどこに落ちるのかも記憶していました。沼地では冬でもザリガニの穴に腕一杯に伸ばして冬眠中のザリガニを泥だらけになりながら取っていました。あまりに、泥だらけでそのまま学校へ行くので、いつも先生に目を付けられ怒られていました。でも、自分は何が悪いのか?衛生とは良くわかってはいましたが、根本は何がわるいかわかりません。今こそわかってきましたが、土、泥は生き物の原点であると・・ ともかくも、おどろおどろしいものも含めて多くの生き物に本当に大切なものを沢山教わりました。根本の学びは一生の中でそこが一番だったと思います。
しかし、高度経済成長の真っただ中、私に大事なことを教えてくれた場所、生き物や自然は住宅街となり、すべてコンクリートの下敷きになりました。私は故郷を失ったのです。なにかしら、それを求めて彷徨う状態になっている気がします。その失ったものの残像が深く記憶に刻まれています。
2000 年ころから、虫が極端に激減していることに気づき、2014 年には海の広範な異変を経験しました。おかしいと思い色々調べてみると、どうやら世界的に同様の状態で、世界中で強く懸念されているとわかりました。
自然が大切であることを知らない人は居ないでしょう。失われても人間の営みからして仕方がないと以前は考えていました。ですが、現在では、自然の営みと人の営みが調和し、より美しく豊かに幸福に暮らすこと、それがどのようなものか、まだ明確にはイメージできませんが、その方向にこそ、未来があると信じています。
植物は太陽エネルギーと動物の呼吸から出た CO2 を食べられるものに変換し、自らの身や実や花を虫、動物へ分け与えること、朽ちて土に還ること。それを役割とし、動物は植物を食べ、種を運び、糞をすることで植物の生長を助ける役割を自ら生きることでしています。そのままの生が自然の生命の中の役割を担っています。
人は最も高度な事を考えられる存在として生まれました。どのような役割があるのでしょうか?
今、思っているのは、指揮者のような役割ではないかと。古くからどの文化でも考えられてきたこと、即ち、智慧と真・善・美、これを司る指揮者、そのようなイメージがわいてきています。
易しいことではありませんが、それが、目指す姿なのではないかと。自らそこからほど遠いことを自覚しています。ですが多少なりとも個人として、また仲 間と共にその人間の役割に近づくことそうしたことが大事ではないかと思いはじめています。
久目のような水、山、里、自然に恵まれ、なにより素晴らしい人がおられる場所が、その方向を体現できる場所なのではないかと、わたしなぞが書くのは不足で、無責任に過ぎますが、そのような希望を持っています。