自然 ○自然

河原良昭 久目地区地域づくり協議会会長自然 ○自然

 

1383  2193。

 

若かりし頃、都会と呼ばれる街で5年間暮らした私は、都会に浸りました。買いたいものは、歩いて10分も行けば不自由なく手に入り。遊びたければ、電車・地下鉄で数駅移動すればどんな遊びだって経験できました。久目地区の山間いの集落(赤毛)で育った私には、こんな便利な暮らしがあるんだと驚いたものです。田舎では想像さえしたことが無かった歓楽街が、手の届く場所にあるのです。ある程度いろんなことを経験し、ある程度お金も使い、楽しいとはこういう事なんだと思いつつありました。

 

私の育った集落は、今でこそコミュニティバスが家のすぐ横まで来ていますが、子供の頃はバス停まで歩いて約50分もかかりました。なんで、こんなとこに産まれたんだろうとずっと思っていたものです。都会に行きたい、都会ってどこまでも人の心を満たしてくれるところなんだろうと。

 

でも、暮らしてみると、そうではないのかも? と感じるようになったのです。確かに、何不自由なく便利でお金さえあれば何でもできて自分の思い通りにできます。それを何年間か重ねるにつれ、何か重苦しいものを感じるようになったのです。こんなに不自由無い暮らしなのに、なぜか心が喜んでいないようなのです。何かが〇自然なのです。

 

上の数字は、東京都の人口(1383万人)と面積(2193㎢)を表します。なんと、日本の国土のわずか0、6%の土地に10、8%(日本の総人口の10人に一人が東京都民なの?)もの人が集まっていることになります。田舎者の感じた息苦しさの一つは、人が多すぎることだったのかもしれません。単純に、47都道府県に日本の人口を案分すると270万人ずつとなります。どうしようもないことかもしれませんが、どうかしようのあることかも。

 

私のように、便利さを求めて都会にあこがれる人々もいるようですが、便利さ・合理性が人の心のつながりを希薄にしているのではと気づき始めます。

 

これまた若かりし頃、自転車で日本各地を旅しました。道がわからなくなったら、道沿いの小さなお店に入って飲み物を一本買って、店のおばあちゃんに行き先への道が合っているか聞いたものです。今は、カーナビで機械に指図されながら目的地までいきます。スマホのアプリでナビゲーションしてくれるのだとか。スマホが銀行の通帳になるのですから、そのうち、スマホが自分の代わりに食事をしてくれるとか・自分の代わりに旅行に行ってくれる時代が来るのではないかと、恐れています。なんか 〇自然なのでは。(カーナビのメーカーに投書したことがあります。ナビの機能に、お尋ねモードを搭載したらどうかと。目的地までの途中、何箇所か車を降りて道を尋ねる店を作っておき、その土地の人と話す機会を作るのです。もちろん、メーカーの反応は無しです。)

 

山間いの地で暮らしていて感じることがあります。一番近くのコンビニまで車で20分。最寄り駅まで車で30分。不便でも、自然とともに暮らせるこの場所が自然なのかなと。

 

上の3つの〇の中には、お気づきのとおり 不 が入ります。不自然だなと感じること、多々ありますよね。でも人間は、その不自然をなかなか自然な状態に戻そうとはしません。戻すことが進歩ではないからかもしれません。

 

でも、いつかは「時代のあと戻り現象」を先取りしなければならない時が来るのでしょう。