久目と私
- #エッセイ
河原朱里 地域おこし協力隊かぼちゃサラダとセレンディピティ
高校に勤めていると、東京の大学に進学したいという生徒の話をよく聞く。
一回外に出てみる経験はとても良いと思うので、大賛成オールオッケーやってみろという姿勢でいる。
ただ、「どうして?」と聞くと、気になる言葉があった。
「東京にはたくさん偶然の出会い、みたいなのがあるって、聞いたんです。」
ぬぬぬ。それはちょっと賛成しかねるな。
と、内心思いながら、ふーん、そうかそうかと適当に相槌を打つワタクシである。
実際、久目に住んでいると日々偶然が舞い起きる。
「久目ってRPGみたいっすよね。」と大学生が言っていたけど、あれは良い表現だったなと今振り返って思う。
例えば、と言い出すとキリがない。
もらった着物でモンペを作ったらなかなか可愛い出来栄えになった、とか、
ツルでかごを作りたいなと思っていたらちょうどサントスさんが貰い手を探していた、とか、
よもぎの季節、引っ越し先に蒸し器があったから蒸しパンを作ってみた、とか、
床を杉の板で敷いてもらって、余った材で棚をDIYしたらめちゃめちゃいい感じになった、とか、
引っ越し先にはんだごてがあったから、ウッドバーニングで表札を作りたいな(願望)、とか、
赤ずきというお初にお目に掛かる野菜を酢の物にしたら永遠に食べれる代物だった、とか、
もらったかぼちゃが普通と違かったので生のままサラダにしたらこの世のサラダランキングで突如一位に躍り出た、とか。
そんな訳で、久目はちょっと忙しいくらいに小さな偶然というか、サプライズがある地区だと思う。
セレンディピティという言葉がある。
「ディピ」らへんで噛みそうなこの言葉は英語で、偶然の幸運をつかむ能力という意味だそうだ。
私は誇れるスキルも特技もさしてないけれど、このセレンディピティだけは偏差値60超えしている自信がある。(70超えまでは自信がなかったけど。)
それは、久目に来て目覚めたとも、研ぎ澄まされたとも言える。
こんな文章を書きながら、
先日1人が一生かけて食べる量のさつまいもを頂いたのでジャムにしようと煮ていたら、
これまたいい出来で、これはパンも作っちゃおうかなと企んでニヤニヤする。
あの生徒も、いつかこういう歓びに気づく日が来ますように、と、おせっかいと知りつつ勝手に天に願っておいた。