氷見の奥座敷へようこそ

サントス ひみ森の番屋/林業家/よろず屋氷見の奥座敷へようこそ

「トンネルを抜けるとそこは雪国だった」

初めて久目地区を訪れた時に頭の中に現れたのは、誰もが知っているこの言葉だった。

しかし、実際には久目地区に入るのにトンネルもなければ、その時は雪もなかったから、この言葉通りの風景があったわけではない。だが、山を1つ越えて、右に左にとくねくね曲がり落ちてきたら、突然、見慣れぬ風景が現れたから、ついこの言葉を想起したのでした。

 

白壁に黒瓦。ザ・民家と言いたくなるような家々が、ゆるい里山と田んぼの緑に囲まれて立ち並んでいる様は、今ではなかなか見られぬ風景となってしまった。

 

その時は、スマホのナビに任せて氷見市を見に来ただけだったから、そこが久目という土地だということはのちになって知り、また縁が重なってそこに自分が住むことになろうとは、人生わからぬものである。

 

そして、久目地区に暮らし始めて5年が過ぎました。定住する場所を探してあちこち見てきた結果が、ここになりました。

 

市内最大の面積を誇るこの地区は、市内最大の流域人口を誇る上庄川の源流地域でもある。夏は蛍が舞い、秋には柿のオレンジが道々を彩り、冬は一面の水墨画の世界になる。ここに住む人は「こんな田舎」、街の人は「あんな田舎」と言うけれど、端っこであるが故の心地よさは、住んでみないとわからない。でも、住むのはきっと大変だから、まずはときどき通ってみたりすれば、きっと感じるようになるような気がする。

 

端っこであるが故に、市の中心部へと行くのと同じくらいの時間で、隣の県に行くことができ、隣の市へと行くことができる。

 

端っこ、つまりは際(きわ)にあるところは、時節の際物が際立つ空間であり、ヒトと自然(野生)の際さえもはや入り乱れ、人新世などどこ吹く風。だから、ここが面白い。肉は猪をとって自給し(うちだけですが)、梅・栗・柿は先人が植えてくれたものを頂戴し、季節には山の菜を採り、昆虫を食べ(うちだけですが)、山を油田代わりに自給するエネルギー源にする。加えてそれらがあふれたときには、贈与経済を発動させる。いや、まったく田舎らしい暮らしができる。そんなところなのです。

 

氷見の奥座敷へようこそ。久目は「くめ」と読みます。